「幸福」を決める価値観

久しぶりに郷里に帰り、墓参を済ませ旧友と再会した時のことである。
お互いに、かつて漫画家を目指していた頃の思い出話に花を咲かせていたけれど、「爆漫」という作品に描かれている昨今の漫画業界事情に話が及んだ。
僕らが漫画家を目指していた頃に比べて、出版界の事情は大きく様変わりしている。
昭和40~50年代の出版社や新聞社においては、漫画雑誌の編集部に配属されることは出版業界人としては格落ちであり不本意であったように見受けられたものだ。
だから編集者には熱意の感じられない人も少なくなかったように思う。
難しい入社試験にパスして新聞社に入ったのに、新聞記者ではなく雑誌の編集者というのは不満だっただろうし、文芸出版社に入ったのに漫画雑誌の編集者というのは、アカデミックではないと落胆していたのかも知れない。
しかし、出版業界においての収益力がビジュアル系の雑誌、特にアニメーション作品やゲームへと広がりを見せて著作権料などの収益チャンネルが増えていく漫画作品は、出版業界の屋台骨を支える存在となっていった。
そういう経済構造の変化によって、出版業界において漫画出版の担い手の地位も向上していき、最初から漫画雑誌の編集を目指す有能な人たちが各社に入社してきて、漫画出版事業の発展を推し進めていった。
作品の評価方法も編集者の主観に頼るのではなく、読者アンケートなど多角化が進み、漫画作品の価値はマーケティングの中で決まっていく。
きちんとしたマーケティング手法を取り入れたことは、ビジネスとしてはもとより、漫画という表現媒体の可能性と作品レベルをどんどん上げていった。
もしもこの現代の高度化した漫画ビジネスの中でも、僕は漫画家になりたいなどという夢を持っただろうか。
今から40年以上前は、既存作家の大半が戦後間もない頃の「紙芝居」や「貸本」を描いていたレベルで、その作家としての資質も現在ほど高度ではなかった。
だから、お絵描き好きの子供が夢見たり、目指すことも容易だったんだと思う。
今はもう、僕が作れるものなどアマチュアの中でも下位レベルであることは承知しているけれど、何かを作り他人に見せるという行為が僕にもたらしてくれる自己満足は、他では得られない僕だけの幸福感覚なのだ。
たぶん、楽器演奏を趣味としている人が発表会やコンサートを開きたいと思う気持ちにも通じるのだと思う。
漫画家にはなれなかったけれども、創作と発表という自己表現の方法として「漫画」と出会えたことは、僕の人生の華なのだ。
幸福とは畢竟「自己満足」なのだ。
「自己満足」が戒められるのは、他者との競争において結果を求められる場合だろう。
僕は漫画を描くことで誰かと競争したいわけではない。
自分のために作り、自分のために他人に見せるのだ。
「この人はこんなものを一所懸命作っていたんだね」と見てもらえれば、僕の目的は達成される。
絶えて久しくそれをしていない現在の僕は、僕にとってとてもつまらない存在となっている。