世界は矛盾の宝庫だ

どのような産業であっても、それに従事する者の家族を養っている。その産業が損なわれたら、関連する事業も含め多くの人の生活に影響が生じるだろう。人生が破壊されることだってある。この視点は常に大切なものだと思う。かつて大阪府警が「三店方式」を編み出してパチンコ産業を救ったのも、(パチンコ業者と政治家の癒着が疑われるにしても)既にパチンコ産業が多くの市民を養っているという事実を、「政治」が無視できなかったからではないかと考える。
軍需産業に膨大な数の雇用という「人質」を握られているから、大量殺戮兵器の開発抑制にもいまひとつ踏み込めない。南米の麻薬農園は産業の乏しい環境の中で、どれだけ多くの貧しい農夫とその家族を養っていることだろう。地球の環境を破壊している製造業や物流、そして消費、これらが止まらないのも、結局は環境破壊が「養っている」人数が膨大だからだろう。
国連でグレタ・トゥーンベリさんが「何もかも間違っている」と熱弁をふるっても、一部の浮世離れした理想主義者の心にしか響かないのは、トゥーンベリさんがカール・マルクスと同じだからだと思う。マルクスは資本主義を批判したけれど、資本主義に代わるべき仕組みの提案はしなかった。トゥーンベリさんもまた、具体的な解決策を示してしない。子供だから仕方がないけれど。資本主義にとって代わるべきは共産主義だとしてレーニンたちは資本主義を打倒したけれど、共産主義が人類に向いていなかったことは、ソ連の崩壊や共産主義を捨てた中国共産党の姿を見れば一目瞭然だ。
僕のような一般市民は対策を提起せずに批判だけをSNSに書いて留飲を下げていても責任を問われないけれど、為政者は常に未来の危機を想定して備えつつ、各方面の現在の利益を担保しなければいけない。これは数々の矛盾を内包する大変な役目だ。そのように為政者を気遣う気持ちを失ってはいけないけれど、だからと言って失政を許してもいけない。僕たち選挙民もまた、矛盾を内包した役目を負っている。