東京オリオンズ

僕は9歳ぐらいの時に、父が経営する会社の慰安旅行に同行し、後楽園球場で巨人中日戦を観戦した。
巨人は金田正一投手、中日は小川健太郎投手の先発で、金田投手が打ち込まれ中日がリードする展開だったけれど、終盤に王選手が同点ホームラン、そして長嶋選手が逆転ホームランで決勝点を奪い巨人が勝つという試合展開で、まさに巨人軍全盛時代だった。
僕はその時に「選手名鑑」という手帳サイズの小冊子を買ってもらい、プロ野球にはテレビで放送している巨人戦とは別世界の、パシフィックリーグというものがあると知った。
父が熱心に見ていた巨人戦ナイターという番組は、巨人がプロレスの馬場猪木組みたいで、その他のチームが外国人レスラーみたいだと思って見ていたけれど、どうも巨人を好きになれず、さりとて「悪役」の対戦相手を応援する気にもなれなかった。
だけど野球は好きだったので、パシフィックリーグの「発見」は僕にとって大きな事件だった。
小学校の図書室でパシフィックリーグについて調べてみて、クラスの友達に話しても誰も知らない。
僕の生まれ育った静岡市は、プロ野球をテレビで見る人ばかりだし、大阪よりも東京の文化圏だったから、巨人ファンばかりだった。
僕は大人でも詳しくないことに詳しいことが自慢となって、父がとっていたスポーツ新聞を切り抜きパシフィックリーグの情報を集め始めていたけれど、大阪や九州のチームには共感できず、東京オリオンズと東映フライヤーズを応援するようになっていった。
そのうちにクラスメイトの前原君の父親が東映フライヤーズのファンだと知り、他の誰も応援していない自分だけのチームとして、東京オリオンズ一本に絞っていった。
あれから50年以上、僕は東京オリオンズ⇒ロッテオリオンズ⇒千葉ロッテマリーンズを応援し続けている。
閑古鳥の鳴く川崎球場にも応援に行ったし、今年は長男夫婦を伴ってZOZOマリンスタジアムに応援に行った。
小学生当時、「テレビでも放送しないし日本シリーズにも出てこない、スポーツ新聞の扱いも小さな弱くて人気の無いチームを何故好きなのか」と担任教師から訝しく思われたけれど、うまく説明できなかった。
僕の周囲で誰も知らないし関心も持たれない弱いチームだったからかも知れないけれど、実際の試合を見にいくようになるのは大人になってからだったので、インターネットの無い時代に少年の僕は小さな新聞記事だけで一喜一憂していたものだ。
「巨人の星」の中でオリオンズの中心打者、長身細身のアルトマン外野手を腹の出た巨漢に描いていた川崎のぼるを、僕は嘘つきのいい加減な漫画家だと思った。
川崎のぼるは綺麗な画風だったからこそ、そのいい加減さに苛立ったのかも知れない。
僕は「巨人・大鵬・卵焼き」と大人から揶揄された世代だけど、大鵬と卵焼きは好きでもプロ野球はオリオンズだった。
「プロ野球に興味が無い」という少年であればかえって認められるのに、プロ野球大好きな一般的な少年なのに贔屓チームが地元でもなく強くもなく人気も無いオリオンズという理解に苦しむところが、僕を中途半端な異端児にしていったように思う。