左利き

僕の人生を左右してきた、僕のこの性格を形成してきた大きな要因として、僕が「左利き」として生まれてきたことが挙げられる。
僕の産まれた昭和30年代では、左利きはカタワ扱いであった。
身体障碍者である。
したがって、親は子供の左利きを右利きに直そうと必死となり、子供は利き腕を使えないハンディを押し付けられて育つ。
頭の悪い右利きはよく「左利きは器用だ」と言うけれど、とんでもない。
左利きに生まれた者が幼少期に受けた拷問のような矯正を受ければ、ほとんどの右利きは左利きとなるだろう。
成長した今となってみれば、自動販売機や駅の券売機、公衆電話も楽器の鍵盤もパソコンのキーボードすらも、あらゆる機器は右利き用に作られている。
もっと昔に作られた文字だって、右利き用なのだ。
そういう環境で生きていくためには、左利きよりも右利きが有利である。
これは、言わば多数派による同調圧力なのだ。
3月生まれの僕は「早生まれ」として、日本の学齢編成では同学年の最年少となる場合が多い。
小学校入学時では4月で7歳になる子供と1年近い年齢差があるから、身体的にも経験的にも幼い。
そのうえに利き手が少数派の「左」であり、右利きを標準とするマスプロ教育の中で、スタートから大きなハンディを負うことになる。
今思えば、右利き用に作られた「勉強」という場で、学年の終わりにようやく年齢が追いつく幼い左利きの僕に劣っていた子が多かったが、彼らの知能の低さこそ、利き腕以上に矯正すべきものだっただろう。
左利きは「ぎっちょっぱー」と揶揄される存在だったが、僕は左利きであることを恥じたことはない。
ただ、ピアノ教室やソロバン教室は苦痛だった。
左利き用のピアノやソロバンが無いのだから。
大学生の時にギターを買って弦を張り直し、左利き用にして愛用していた。
ギターは良い、左利き用となり得る数少ない楽器である。
中学校の時に剣道部に体験入部した時に、竹刀を野球の左バッターのように持ったら右手を上に持つように指導を受けた。
指導の教師曰く「下を握る手が強いほうが有利」だと言うので、僕は「では、右利きはなぜ左手を上にしないのか」と質問したところ、この体育教師は答えらず僕を生意気だと叱った。
柔道部では左利きの僕に対して左自然体の組み手を薦められ、「相手は右自然体とばかり組んでいるから有利」だと説明された。
腑に落ちる合理的に説明に、僕は柔道は剣道よりも頭が良いと感心した。
剣道だって二刀流もあり、左腕を上に竹刀を握っても反則ではあるまい。
右利きを強制するのは戦時中の銃剣道の流れなのだろう。
旧日本陸軍の三十八式歩兵小銃は右利き仕様のシングルボルトアクションだから、右利きでなければ訓練で指導しづらいし、集団行動の中では危険ですらある。
軍事用に限らず世の中にあるマスプロダクト生産機器は右利き用であり、左手を自由に使わせてくれたのが絵を描く時ぐらいだったので、成長につれて僕が絵を描くことを大切に思うようになっていったのは、当然のことだったと思う。