幸福の記録

僕がWEB上で更新を放棄し放置しているサイトは少なくないけれど、その中に劇場で映画を観た記録がある。これは2016年1月から2018年3月までの27ヶ月中、21ヶ月で42本の映画を劇場で観たという個人的な記録に過ぎないけれど、たぶんこの期間が僕の人生で一番幸福だった期間となるだろうから、僕にとっては「幸福の記録」とも言える。
2015年に大阪単身赴任から解き放たれた僕は、当時の愛知県清須市にあった自宅に戻ったけれど、この借家は2階に長男と長女それぞれにひと部屋づつを与え、さらに僕たち夫婦の寝室もあり、1階に水回りとリビングダイニングキッチンがあるという、僕の借家人生でも一番広い物件だった。僕の単身赴任中に家内と長女との間に諍いが起きてまず長女が出ていき、次いで長男も勤務先に近い部屋を借りて出て行ったうえに、空き巣に入られて貴重品を奪われる災難もあったので、家内はひとりきりになる時間をとても怖がっていた。二人きりで暮らすには広過ぎることもあり、僕たちは転居することにした。
そこで僕が会社から与えられていた専用オフィスに近い、愛知県稲沢市に引っ越すことにした。この2LDKの新居が、久々の夫婦ふたりきりのスウィートホームとなった。当時の僕は西日本店舗統括部長兼経営企画担当執行役員として取締役会を凌駕する権限を持っていたし、近い将来、常務取締役になるだろうと内心では考えていた。そういう慢心が長かった貧乏生活からの解放感を呼び覚まし、家内と外食し映画館で映画を観るという、僕にとっては至高の贅沢に駆り立てたのだった。
この映画ノートでは、僕は映画の論評を書いていない。エンドロールを見終わり、場内が明るくなって席を立つ直前に「5点満点で何点か」を直感で採点している。論評を書こうと吟味すると、結局はありがちな感想文になると解っていたし、それを後から自分が読んでも面白くない。鑑賞直後の感激具合という刹那的な評価こそ、わざわざ映画館まで行って映画鑑賞をした僕自身にとって、残すべき記録だと考えたのだった。

この幸福な時間は2年余りで終わりを告げた。2018年1月の経営会議で僕の失脚が決まったのだ。僕にとってのアンチ勢力は今まで無かった役職定年制度を作って僕から役職を取り上げ、2018年3月で60歳を迎える僕は一旦定年退職して翌月から再雇用、嘱託社員となることに決まった。僕が暢気に幸福な時間を過ごしている間に、僕のサラリーマン人生はピークを通り過ぎていたのだ。
こういう結果は僕の実力と人徳が招いたことなので、誰を恨む筋合いでもない。ただ、年収が半分以下となり、その後も毎年減給となるうえに、いつ雇止めになるのか解らない不安定な立場となって、今はより一層、この幸福な時間が光り輝いて見える。
2018年3月に新しい配属先に近い名古屋市緑区に転居した。減っていく収入に合わせて、賃料も身分相応の物件である。引っ越す前に2018年では一度だけ、僕は家内と映画館に行っている。それがこの放置された映画ノートの最後となった。