霊魂の存在を信じる理由

僕は霊魂の存在を信じる。
「信じる」と言うよりは「期待している」とでも表現した方が正確かも知れない。
霊魂の存在を確信できるほどの霊能力は僕には無い。
しかし「期待してもいいかも」と思える程度の体験はある。

僕が結婚する前、まだ実家で両親や妹弟たちと同居していた頃の話である。
僕は二階にある自分の部屋から降りてきて、トイレに向かった。
トイレに行く途中に両親の部屋があり、その引き戸が少し開いていた。
その隙間から、和服を着た女性の下半身がチラリと見えた。
妹が母親に着付けをしてもらっているのだろう、と僕は咄嗟に考え、トイレを済ませたら冷やかしに行こうと思った。
トイレからの戻り、僕は両親の部屋の引き戸を開けて中に入ってみたけれど、部屋は薄暗く寒々しく、人の居た気配は一切無かった。
先ほど通りかかった時には、部屋の灯火が点いていたはずなのに。
そうでなければ窓の無い両親の部屋は、昼間でも薄暗いのだ。
あとでわかった事だけれど、この日は家族全員が起きてこない僕を残して、朝から出かけていたのだった。

この思い出話をすると、胡散臭そうな顔をされるか、僕の錯覚か記憶違いを証明しようと質問攻めにされるので、今はもう誰にも話さない。
これが霊現象だと言える根拠も霊感も持っていないけれど、僕は「霊」を見たと今でも思っている。

実家の家業は時代の流れの中で次第に傾いていった。
零細企業が生き残るには、父にも僕にも才覚と資力が不足していた。
家業が傾くにつれ、両親は乏しい資金から多くの金銭を、霊能者や宗教家に費やすようになっていった。
もはや「神頼み」しか残されていないような、そんな流れの中で僕たち家族は翻弄されていた。
それでも、僕が結婚する頃までは、家業も体面上は衰えを見せていなかった。
内実は火の車で、そんな状況でも霊能者に少なくない金額を謝礼に払っていることを、僕は苦々しく思っていた。
しかし、他に家業を立て直したり両親を安心させる方策を僕は考えつけず、両親が安心するので僕も霊能者の儀式に付き合っていた。

「金粒和尚」と僕が密かに名付けた霊能者が居た。
彼は祈祷している最中ずっと、信者たちに拳を握りしめさせておく。
祈祷が終わったあと、信者の中から数名に、握りしめた拳を開くと掌に胡麻粒ぐらいの金色の物体がのっている現象が起きる。
これを体験した信者は随喜の涙を流し、それを見る両親は、さも羨ましそうだった。
きっと何かトリックがあるに違いないと、その後何度も観察していたけれど、ついに見抜けなかった。
両親と親しい人にもその現象が現れて、「仕込み」を疑っていた僕の思惑は揺れた。
回数を重ねるうちに、跡取り息子の僕の掌に金粒が現れたら両親はどれだけ喜び安心するだろうと思うようになり、僕はインチキでもいいから僕の掌に金粒を頼む、と思うようになったけれど、事前に何の交渉も無く、祈祷の間じゅう「どうか僕を騙してください」と祈念してみたけれど、ついに僕の掌に金粒が出現することはなかった。

僕に二人目の子供が産まれた頃、家業はいよいよ危なくなってきていた。
手形が落ちないと父から相談されて、僕は結婚してから貯めていた預金や子供の学資保険をすべて父に渡した。
妻は泣いていた。
そのうちに、従業員に給料を払うからお前の給料は待ってくれと言われるようになった。
妻から離婚したいと言われた。
ふたりの幼子を抱え、不安が頂点に達したのだろう。
息子とは言え別に家庭を築いているのに、その家計を破壊しても傲慢な態度を変えない父への、妻の不信感は大きくなっていったようだ。
夫婦仲も悪くなく、ふたりの子供は可愛い。
しかしこのままだと、僕はその妻子を失う。
家業は破綻の一歩手前であるが、それでも創業者である父は、事業の清算を考えようとはしない。
妻子を失った挙句に家業も潰れたら、僕には何も残らないし、子供の養育費にも事欠くだろう。
僕は親を捨てて妻子をとる決断をした。

家業から離れ、僕は職を転々としながら妻子を養った。
自営業にありがちな話だが、僕のマイカーも父の会社所有であったから、家を出た以上、当然それを失った。
地方都市で子供を抱えた生活では、自家用車が無ければ何かあった時に困る。
そう考えた僕は、営業車をマイカーとして貸与してくれる営業職に絞って職探しをした。
そういう営業は給料の業績歩合部分が多く、ノルマも厳しい。
ある会社ではノルマ未達成の営業社員を本社に集め、本社のホールに集められた本社スタッフの前で、ノルマ未達成の反省を言わせられた。
「頑張ったけれど残念ながら…」などと言おうものなら、「向いてないんじゃないの~」という野次が飛ぶ。
体調のせいにすれば、健康管理や生活態度を罵られる。
これが度重なると、辛くて会社を辞めていく。
自己都合退職を促す、アクドイ方法なのである。
僕は勤務先と自分の気持ちを欺きながら、なんとか生き残り妻子を養った。
法律的な犯罪は犯していないけれど、道義的に自分を許せない行為をしたことはある。
今思えば、僕の精神はこの頃既に、かなり病んでいたのだろうと思う。

それから数年して、信用金庫から「お父さんの行方を知りませんか」という連絡を受けた。
僕が転居してもちゃんと追跡してくるから、金融機関とは侮れないものだ。
意識して避けていたので、父の会社の倒産は寝耳に水だった。
その時、僕が連帯保証人となっていた借入金の返済を求められた。
親子の縁を切ったつもりだったけれど、連帯保証人としてまだ父と繋がっていた。
僕は再び無一文になり、妻はまた泣いた。
その後、自己破産して禁治産者となった父と再会した。
そして、母が亡くなり、同じ年の暮れに破産調停終了を告げられて間もなく、父も亡くなった。

僕は実家を捨てて妻子をとった決断を、今でも正しかったと思っている。
それでも両親を捨てた罪悪感は、生涯拭い去ることができない。
細かい事情については、それぞれに言い分があるだろう。
もしも死後の世界が存在するのならば、そこで両親に再会できたのなら、説明をしなくてもすべての事情について、お互いに情報共有できるのではないだろうか。
そんな死後の世界で僕は両親に謝罪し、あの時の僕の選択を両親に認めてもらいたいと願う。
だから霊魂が存在し、死後の世界が存在してもらわなければ困るのだ。
僕は霊魂の存在を信じる。
それは僕にとって必要だから。