非負担者不受益という課題

新型コロナウィルスの感染拡大を抑えるために「緊急事態宣言」が政府から出され、各都道府県では様々な自粛要請をおこなっている。その自粛要請は命令ではなく要請であるがために刑罰が無く、従わない者を公的には取り締まれない。代わって民間人が従わない者を攻撃する行為が発生し、それが自粛警察と呼ばれるようになった。COVID-19 の実態が掴めないために不安が増大していることと、長引く自粛生活のフラストレーションが産んだものという見方がある。
この自粛警察のエスカレートぶりを伝えるニュースを見ていて、ルールに従うものによって生み出される「安全」や「安心」の恩恵を、ルールに従わない者も享受できるという「平等」のあり方を再考する必要があると感じた。
ゴミ出しのルールを守る者によって、ルールを無視する者も清潔な社会に住むことができる。組合が勝ち取った労働条件は、組合費を納めない非組合員に対しても適用される。こういう事と、富者が貧者の分も負担する、強者が弱者の分も負担する、という事とは、分けて考えなければいけない。また、受益者負担の仕組みは運用しやすいが、非負担者不受益の仕組みは運用が難しい。弱者や貧者が非負担だからと受益できないような仕組みを作ることは、福祉を後退させ人権を重んじる国家ではなくなってしまうからだ。
かつてドイツにおいてナチスの人権蹂躙が拡大していく過程で、多くのドイツ人は迫害されているのは自分とは異なる立場の人間たちだからと声をあげることをしなかったために、いざ自分が迫害される時には既にそれに抗う味方がいなかった、という故事に倣い、人権論者は人権抑圧の論議がたとえ対岸の火事でも(火事に至る前の焚火であったとしても)素早く消火することに努めてきたし、僕もそれを是としてきた。
しかしである。高度経済成長の頃に青春を過ごし、経済力世界第2位となり先端技術の多くが日本製で世界を席巻していた時代に妻子を養えた僕らの世代とは違い、これからの若い人たちは「負担しない者の受益を寛容できる豊かさ」を持てない時代を生きていくことになるだろう。負担と受益のバランスを見直し、その中で福祉を支える基盤をきちんと決めなければ、いずれはパッションだけで同調する暴力的な輩が作る勢力に権力が奪われ、人権も福祉も損なわれてしまうだろう。既にその萌芽をいたるところで目にしている。
負担と受益についてバランスのとれた仕組みなど、そう簡単に思いつくことはできないから、試案すらここに書くことはできない。しかし、僕たち以上にこれからの時代を長く生きるであろう後輩たちの中には優秀な人も多いから、誰かが考えていてくれるだろうと期待している。「人命よりも人権が大切」「海外で戦争があっても自国は平和憲法」という理想論が許容される豊かさも、やがてはこの国から失われるだろう。そう考えると、戦後の民主教育の中で反体制こそ知性とする傾向が否めない僕らの世代は、年長者の自尊心を捨てて、負担と受益の現実論を考える後輩たちを応援しなければいけない。