オルタナティヴ・コミック

アメリカンコミックは厳しい締め切りの下で、ライター(原作)、ペンシラー(下書き)、インカー(ペン入れ)、レタラー(文字)、カラリスト(彩色)、エディター(編集)から構成されるチームによって制作され、作品の大筋は出版社によ […]

相沢先輩と35年ぶりに再会

7月28日、台風12号が接近中の静岡市に赴き、相沢先輩との再会を果たした。 おもちゃデザイナーとして、育児評論家として活躍を続けている先輩であるが、実に35年ぶりに会うことができた。 かつて僕が憧れた、先輩特有の「尖らな […]

黄色い涙

6月10日は永島慎二先生の命日である。 先生の代表作は一般に「漫画家残酷物語」だとされているようだけれど、僕にとっては「若者たち」だ。 1974年にこの作品がNHK名古屋でドラマ化される際に、1966年にフジテレビが放送 […]

岬とおる関連の作画

岬とおるが既に亡くなっていたという事実は、僕のささやかなお絵描き人生における最大事件だった。 外国に去っていったというのなら、現代はなんらかの通信手段でコンタクトできる。 しかし、黄泉に逝ってしまったのでは、もうどうしよ […]

岬とおるの墓に再び

梅雨入りし、長期予報でも雨模様の中で唯一の晴れの休日だった昨日、岬とおるの墓に二度目の墓参。 最初の墓参から約一か月ぶりだったけれど、家族が死に絶えた彼の墓は思ったとおり汚れていた。 軽く清掃をして花を供え香華を手向ける […]

BBS撤去

このサイトの復活に際し、昔懐かしいBBSを設置してみたけれど、荒らされてしまったので撤去しました。 ある程度の予測はしていたけれど、昔のセキュリティの仕組みでは現在に通用しませんな。 投稿されることも滅多になかったので実 […]

「あぴいる」と「ぱんぷきん」

1973年の夏、当時高校1年生だった僕と岬とおるは、四谷公会堂で開催された「第2回漫画大会」に参加した。 この漫画大会は内部分裂ののち、コミックマーケットに発展し同人誌文化の担い手となったものだけれど、当時も既に同人誌の […]

孤高の才能

数日後に岬とおるの墓をお参りする。 もっと彼の作画を見たかったな。 技術的に巧い人は大学の漫研や同人雑誌にもたくさん居た。 でも、ヤツの才能に匹敵するセンスには、お目にかかったことが無い。 【追記】 5月4日に岬とおるの […]

わらべあきひとに捧ぐ

同人誌活動におけるライバルは、わらべあきひとだった。 彼は僕と同じように筆名を変える人だったので、ここでは僕にとって最も印象に残る時代の筆名を採りあげておく。 僕が「ぱんぷきん」を創刊する前年、1973年の暮れに文芸同人 […]