旧友が先に墓参したとの連絡によって、岬とおるの墓所が判明した。
静岡市にある久應院の墓苑に眠っている。
平成16年(2004年)9月11日に亡くなっていた。
1970年、当時中学1年生の僕が入部していた野球部に彼が転校生の体験入部としてやってきたのが最初の出会いだった。
彼は勝利至上主義だった野球部の雰囲気に馴染めず、正式入部せずに去っていき、僕も1年限りで野球部を辞めた。
1972年に授業として特別活動クラブが始まり、「漫画創作」というクラブで僕は彼と再会し言葉を交わすようになった。
1973年、同じ高校に進学するとふたりとも漫画研究会に入部し、その年の夏に渋谷公会堂で開催された第2回漫画大会に参加した。
漫画大会で同人誌というものに接した僕らは、1974年に同人誌「ぱんぷきん」を創刊。
僕たちは漫画家かイラストレーターになる夢を抱くようになった。
1976年に同じ大学に入学したけれど、異なるキャンパスの学部に入ったためにしばらくは疎遠になった。
やがて僕が彼のいるキャンパスの同じクラブに入部して、ともに創作活動するようになった。
本格的な創作を先送りにする怠惰な日々だったけれど、今思えば夢のような青春時代であった。
1979年に大学を卒業した彼は一級建築士の資格とともに大手企業に就職し、僕は漫画家を目指すために東京に残りアルバイト生活をしていた。
時は巡って1995年、転職を繰り返していた僕はたまたま入社した会社の設計部で働く彼と再会した。
彼とは、1988年の僕の結婚式に来てくれて以来の再会だったと思う。
1996年の夏、のちに執行役員にまで昇進することになる現在の会社に招かれて僕は転職したのだけれど、それ以降、岬とおると会うことはなかった。
今年還暦を迎え、執行役員を定年退任して創作活動の再開を思い立った時に、旧友との再会を望んで探してみたけれど、彼の所在は解らなかった。
もう、ずっと以前に世を去っていたのか。
20年以上会うことも無かったかつてのライバルの死は、時を超えて青春時代の迷走と蹉跌を懐かしくも寂しく思い出させる。
岬とおるが残した作品は30代前半までのものしか残されていないけれど、現在の僕が見てもその才能に嫉妬する。
僕も彼も、若い頃に夢見たプロの漫画家にもイラストレーターにもなれなかったけれど、岬とおるの才能が世に出なかったことが惜しまれる。
GWに墓参に行くつもりだけれど、一足先にGoogle earthのストリートビューで撮った彼が眠る墓苑の画像をここに貼って彼を偲ぶ。

【追記】
2018年5月4日、岬とおるが彼の家族と眠るお墓に香華を手向けた。
墓は遙かに富士が見える高台にあり、五月の風が颯爽と吹き通っていった。