「あぴいる」と「ぱんぷきん」

1973年の夏、当時高校1年生だった僕と岬とおるは、四谷公会堂で開催された「第2回漫画大会」に参加した。
この漫画大会は内部分裂ののち、コミックマーケットに発展し同人誌文化の担い手となったものだけれど、当時も既に同人誌の即売会はあった。
ここで僕は大量の漫画同人誌を買い漁った。
漫画同人誌というものを作ってみようと思い立ったからだ。
買い集めた同人誌の中でも、センスに溢れていたのが、ぐるーぷANTIの「あぴいる」だった。
青焼きコピーの袋とじで少ページという形態が、模倣するのに好都合でもあった。
僕の実家に青焼きコピー機があった、ということも大きかった。
当時、市高漫研の部誌「ひま」は(休刊中で伝説と化していた)謄写版印刷であったし、この年の暮れに創刊された文芸同人誌「あっぷあっぷ」も謄写版で、表紙と挿絵を頼まれた岬とおるは鉄筆で見事な作画をしていた。
自分たちで出版物を作る場合は謄写版が当然だと思い込んでいた時代に、青焼きコピー誌の可能性を教えてくれたのが「あぴいる」だった。
ページ数が少なくても構成で見栄えのするものが作れることも、「あぴいる」で学んだ。
翌1974年、僕は青焼きコピー漫画同人誌「ぱんぷきん」を創刊した。
「ぱんぷきん」はセンスの光る岬とおると丁寧で美しい作画の篠塚としおに支えられた同人誌だった。
僕にとっては、自分自身の力不足を思い知ることになる同人誌作りではあったけれど…。
最後の6号は、表紙だけオフセット印刷(篠塚としお画)、中身は青焼きコピーというものだったけれど、奥附には「1981年1月1日発行」とあり、篠塚としおが編集いている。
この号に岬とおるは寄稿しておらず、別の目的で描かれた彼のイラストが掲載されているのみである。