漫画家を目指して漫画家になれなかった人は、僕の世代でも数えきれないだろう。
大学時代の知人には、漫画家になった人もいれば作家となり直木賞を獲った人もいる。
若い頃には名を遂げたそれらの人たちが妬ましく思ったものだけれど、もうそれらの人物にも作品にも関心は無くなった。
高校で漫研に入部した僕は、1年の夏休み(1973年)に第2回漫画大会(のちに分派してコミックマーケットに発展)へ参加し、フォーラムでは「デビルマン」連載中の永井豪先生と同席して生意気な発言をしたりした。
その時に漫画同人誌を買い漁ってアマチュア漫画家のレベルの高さに驚くとともに、自分だって負けないぞと闘志を燃やしたのが、僕の漫画人生の出発点だった。
漫研の同級生だった高浜君と漫画同人誌の発行を発起し、クラスメートの有賀君や秋本君を誘って青焼きコピーの同人誌「ぱんぷきん」を始めた。
そんな僕や高浜君が入学した年に入れ替わるように卒業していた漫研の先輩に、相沢康夫さんがいた。
相沢先輩は他の先輩のように大学に進学したり予備校に通う浪人生にもならず、卒業後漫画家になるために上京した猛者だった。
そんな人が身近にいたというのも、僕の人生に少なくない影響を与えたのだと思う。
先輩はときどき漫研に訪れ、生原稿を見せてくれた。
僕が正直な感想を述べても機嫌を悪くすることも無く、「そう?僕には面白いんだけどな」と飄々と言う。
その姿勢がたまらなくカッコ良かった。
相沢先輩は他人の評価の中に自分の順位を見つけて悦ぶような人ではなく、ただただ「自分な好きなもの」を追い続ける人だったのだ。
冒頭で書いたように、大学時代に創作活動で知り合った人たちの中には、現在もウィキペディアに載っている人も居るけれど、みんな他人の評価の中に自分の地位を確認し充足するような、世俗的な承認欲求の輩だった。
僕の人生では、相沢先輩のような「自分の好きなもの」だけを自分のために追い求める人を他には知らない。
相沢先輩は「自分の好きなもの」を追求し続けて、創作玩具で国際的な賞を受賞し、数々の著作もある創作玩具作家として有名な人になったけれど、たぶん今でも漫画を描くことも好きなんだと思う。
創作玩具作家として成功したのは、先輩の生活のためにはプラスだっただろうけれど、それも先輩にとってはただの結果に過ぎないのだ。
もう何十年もお会いしていないので、僕のことなど忘れてしまっただろうけれど、相沢康夫さんを先輩に持っていることが僕の誇りなのです。

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