月刊漫画誌「ガロ」

僕はかつて、ガロという月刊漫画誌を時々購入していた。今も手元に残っているのは、1988年1月号だけである。この年の12月に僕は結婚して新居に引っ越したので、漫画も書籍も大部分はその時に処分して今は残っていない。この1冊だけが今でも手元にあるのは、これがガロを購入した最後の号であるからだ。

僕が漫画家になることを夢見ていた時代は、貸本漫画から豪華付録付きの月刊誌を経て、漫画週刊誌が隆盛を迎えつつある時期であり、漫画家になりたいという少年少女が爆発的に増える前夜であったと思う。高校1年だった僕が盟友の岬とおると一緒に参加したまんが大会の第2回大会(1973年8月4日~5日)が四谷公会堂で開催された時には、参加者は数百人だったと思う。その後のコミックマーケットの参加者の規模と比較すると、「前夜」時代という感慨を持っても差支えあるまい。

まんが大会は、手塚治虫先生が発行していたコム(COM)という月刊漫画誌の影響を受けた全国の漫画同人が中心となっていたので、COMの廃刊後ではあったけれど、当時のいわゆる「コム派」と呼ばれる漫画同人が集まり、「ガロ派」とは一線を画すものだった。当時のガロは白土三平先生や水木しげる先生といった大人向けで暗いタッチが主流であり、コムは伝統的少年少女漫画のタッチであり、多くの漫画同人もその方が多かった。

コム派を自認していた僕がガロに目覚めたのは、僕自身が少年から青年となっていくに随い、漫画創作上の価値観が変わっていったからだと思うけれど、白土三平先生や水木しげる先生の作品が掲載されなくなってからのガロが、商業主義よりも作家性を重視した、ある意味で同人誌的になっていったせいもあると思う。描いていれば作画は上達していったけれど、それと同時に僕の嗜好性が漫画を描いて商業的成功を得られるものではないと気づいていったし、社会を変えたり共感を得られるほどの才能は自分に無いと痛感していた。ましてや、ガロに持ち込むほどの才能は僕には無いと諦めていた。それほどに、僕にとって当時のガロは憧れであり、神聖な漫画誌だったのだ。漫画仲間が大学を出て社会人になっていく中で、僕だけがアルバイトをしながら漫画青年をしばらく続けていたのは、漫画を作るというマニアックな仲間との出会いを、ほのかに期待していたためだろう。寂しかったのだ。

この漫画同人であり続けたいという願望が、漫画を描かなくなってもガロを手に取ることに表れていたのだと思う。しかし、変遷するガロの内容が僕の感性と合わなくなって、この1冊を最後にガロを読まなくなったのであった。