アンカリング雑感

アンカリング」ないし「アンカリング効果」というものがある。
「アンカー」と呼ばれる先に与えられた情報によって判断が歪められてしまい、「アンカー」に近づくという心理学的現象のことである。
日本人に「ピザ」と10回言わせた後、肘を指さして「ここは?」と即答を促すと「膝」と答えてしまうのもアンカリングであるし、税込価格と税別価格は実質等価であるのに、多くの人が税別価格を「安い」と判断してしまうのもアンカリングである。
人間とは予断がもたらす偏見に染まりやすい生物だと、数々の心理学実験や社会事象が示している。
このことで僕が想起したのは、国連での怒りのスピーチで名を馳せたグレタ・トゥーンベリさんについてである。
スピーチをした時の彼女は「少女」であったが、「少女」とは「女性」かつ「子供」であり、地球人類の中では「弱者」である要素をふたつ重ね持った存在である。
スピーチの内容は反論が難しい指摘に満ちていたけれど、大人の男性がこれを言えば「理想論」として片付けられてしまうだろう。
それを少女が発信したから価値が生まれたというのは、皮肉なことではあるまいか。
現実をよく知る為政者たちは、彼女を子供扱いしつつ、意見を尊重するふりをしてやり過ごそうとする者が多い。
表立って彼女を批判しなくても、背後には「子供のくせに」「女のくせに」という差別意識が垣間見える。
日本で報道がもたらす彼女の画像には、怒りに顔をゆがめる「醜さ」が際立っていて、コミュニケーション文化の違いから反感が芽生えた日本人は少なくない。(報道の恣意的なアンカリングを感じる)
グレタ・トゥーンベリさんはインスピレーションの豊かな人材だと思うけれど、彼女が用いる資料は彼女自身の観測や実験の成果ではなく、どこかの誰かの調査に基づく「伝聞」に過ぎないから、そこがツッコミどころになるし、彼女自身がアンカリングを起こしていないとも言い難い。
いつの日か、彼女はもっと事実を知り深い考察に基づいて発言するようになるだろうけれど、オノ・ヨーコ氏のようにアンチテーゼをファッションにする人物になるか、アウンサンスーチー氏のような指導者になるのか、どちらだろうな。