皇室の健全な存続を望む

鎌倉時代初期には武士階級でも女性の財産継承が認められていた形跡があるけれど、代々の資産分配によって家系が衰えることを防ぐ意識が台頭してくると、ひとりの後継者が独占的に資産を継承するようになる。
複数に資産を分配する必要が生じても、本家の後継者を「惣領」として他の資産継承者はその従属者となる義務を負い、惣領を中心に同族が結束して軍事集団を形成する仕組み(惣領制)となっていった。
惣領は軍事リーダーを兼ねるので後継候補から必然的に女性は排除され、男系相続はコモンセンスとなっていく。
厳格な男系相続を求める武士の価値観により、室町幕府は男系による皇位継承者を確保するため、北朝第3代崇光天皇の第一皇子栄仁親王を祖として伏見宮家を創設し、男系が代々世襲親王(皇位継承資格者)を継承するようになった。
以降、安土桃山時代に桂宮家、江戸時代に有栖川宮家、閑院宮家が創設されたが、伏見宮家以外は幕末から大正にかけて断絶したので、敗戦当時に存在した宮家はすべて伏見宮系統である。
ちなみに現在の皇室は閑院宮家から皇位を継承した光格天皇(1780年即位)の家系であり、伏見宮系との男系での共通祖先は伏見宮貞成親王( 1456年死去)まで遡る。
皇位の男系継承にこだわる人たちは皇室の男子不足を補うために、伏見宮系の皇族復帰を目論んでいると聞くけれど、果たしてY染色体(男系遺伝)が現在の皇室と一致するのか心配なのである。
平安貴族の時代から性に解放的であり、政権を武家に奪われてからは和歌を詠むか恋愛に耽るしかなかった公家社会である。
宮中女官の性の乱れが徳川家康の怒りを買い、禁中並公家諸法度を出されるほどであったから、ましてや公家化した宮家の奥方が、当時の上層武士階級の女性ほど厳重に監視され、貞淑を強制されていたのかどうか。
光格天皇を継いだ仁孝天皇は光格天皇が女官に産ませた子であったし、それすらも光格天皇が実父だったのかは疑わしいが、DNA鑑定の無い時代だから、いたしかたない。
いまだに「万世一系」だとか「男系継承」に拘りつつ、同時に皇室の権威を政治利用し続けようとするのであれば、世襲に医学的根拠を求められるのが民主国家であり、科学によって皇室が辱められるリスクを負う。
皇室の政治利用をやめ、国費で皇室を運営するのはやめてはどうだろうか。
そうすればパパラッチや下衆から、皇族の人権を守ることにもなるだろう。
国費で賄わなくとも、皇室を支持する国民のサブスクリプションで、充分な資金を得られるだろう。
皇室の尊厳を守る範囲で、皇室ブランドをビジネス化するのも選択肢である。
次の世紀以降も皇室の健全な存続を望むので、いろいろと考えてしまう。