「お笑い」を必要以上に崇めるな

過去の不適切な表現や行動を暴かれる前に、オリンピック開会式出演を辞退した芸能人のニュースがあった。
漫才ブーム以降に「お笑い」がテレビの主力コンテンツとなり、お笑い芸人の中から国民的スターが生まれるようになる中で、不良少年から多くの「著名人」が生まれ、その行動や発言が虐待や暴言を正当化し、同時に真面目さが「面白くない」と否定される価値観を若年層に蔓延させた。
庶民の支配階層への反感や劣等感を払拭する働きは、江戸時代から現代までの芸能に脈々と受け継がれてきているけれど、その諧謔に対する支配階層の反感は「洒落が通じない」と揶揄されても許されるべき、社会のガス抜きを担う階級批判であったと思う。この階級批判が「反社会的な不良」による「善良な平凡」への攻撃へと変化していったのが、90年代~00年代の「お笑いブーム」であったと極論する。
テレビによって広がる「お笑いブーム」は、視聴率をとれる人気者を優遇するテレビ番組制作者の価値観が視聴者に伝わることでお笑い芸人の社会的地位を向上させ、同時に社会的影響力を強化していった。
刹那的な「笑い」のためには何をしても許される価値観が、学校や社会に蔓延していたのが90~00年代であったと思う。
その頃から芸能に携わっていた者が、今では許されないコンテンツを演じていても、まったく不思議ではない。