骨のある男

僕の考えていることと同じ趣旨の記事があった。
何不自由無い家庭に生まれても、自由が無いというだけで人は不幸なものである。
さて別の問題として、小室圭という人物と面識も無いのに、実に多くの人が共通概念のように悪い印象を持っている。
見た目や佇まいで人をイラッとさせてしまう部分は誰もが持っていて、そこだけを採り上げられ更にストーリーを付加させられると、とんでもない「嫌な奴」とか「悪い人」にされてしまうものだ。そういう印象操作をマスコミはビジネスにしていて、インターネット社会の大衆がそれに乗っかっている結果のひとつではないだろうか。もちろん、完璧な善人など存在しないから、指摘されている欠点の中には事実もあるだろうけれど、それを言い出したらすべての人に当て嵌まることではなかろうか。
話が逸れるけれど、同様のことは政治家に対してもおこなわれていて、切り取られ編集された映像から「印象」が育まれ、嫌悪感が培われていく。面識があっても人間の本質など計り知れないものなのだから、ましてやマスコミが提供する「印象」だけを鵜呑みにしてはいけない。でも「選挙」とは、そういう「印象」で決まってしまうのが現実なのだ。お見合いなら交際期間を通じて結婚相手としてふさわしいかどうかを判断出来るけれど、選挙は一発勝負で結果を受け入れなければならない。
話を戻そう。ともあれ、僕は小室圭という人物をマスコミからの情報以外よく知らないから、結婚相手にふさわしいかどうかなど解りはしないけれど、少なくとも、物凄いバッシングがあるこの状況で単身米国で楽ではない勉学に打ち込み、結婚を誓った相手をずっと想っていられる強いハートの持ち主みたいだから、これらの状況証拠だけでも「骨のある男」のように思うけどね。