営利活動で「元気を届ける」なんて言うな

「元気を届ける」「勇気を与える」
何を上から、おこがましいぞ、と思ってしまう。
僕だって50年以上応援しているプロ野球チームから「元気をもらう」ことはあるけれど、でもプロ野球が「元気を届ける」とか「勇気を与える」ことが目標だなんて言い出したら、そんなもん要らないからその高額年俸を社会に寄付しろ、と言いたくなる。
娯楽イベントの主要メンバーであるミュージシャンとかスポーツ選手とか芸能人という人たちが、その地位を獲得し維持するためにたいへんな努力をしていることは想像に難くないけれど、それはまず一義的に自分のための努力なのだと思う。彼らは彼ら自身のために磨いた技量や才能のパフォーマンスを、ステージやフィールドで発揮することが目的であればいいのだ。
そこから元気・勇気などの前向きな感情を受け取るのはオーディエンスの自由だし、押し付けられて産み出されるものでもない。
結果的にそうなるからと云って、営利の経済活動でそれを目的化するのは偽善に思えて嫌悪感が湧く。