航空特攻の戦果

有馬海軍少将(戦死後中将に昇進)は、最初の特攻(体当たり攻撃)に出撃した人。
日頃から「戦争は老人から死ぬべきである」と語っており、特攻についても「司令官以下高級士官も含む全員でやるべきだ」と考えていたそうで、そのように提案しても高級士官の誰も志願しないので、自ら体当たり攻撃に出撃し帰らぬ人となった。
この行為は「前途ある若者を生かすため、年長者である自分を犠牲に捧げる」という美談に祭り上げられ、結果として多くの若者を生還の無い攻撃に赴かせる皮肉な結果となった。
戦後、「狂気」「非合理的」と戦術的な価値を否定されてきた体当たり攻撃だが、連合軍への心理的影響は大きく、戦闘恐怖症が続出したそうである。航空特攻では陸海軍合わせて3496機が出撃し、3910人が戦死。いっぽうで連合軍側は278隻の艦艇が撃沈ないし撃破され、戦死者だけでも12300人にのぼるという。連合軍側はこの狂気の攻撃が高い戦果を挙げていることを日本側に知られないように秘匿し、戦後になっても、狂ったように強かった日本軍が再び地上に現れないようにするため、GHQは一貫して特攻は愚かしく効果の低かった戦術という評価の定着に腐心した。
しかし自爆攻撃という戦術は相手兵士に大きな恐怖を与え、航空特攻に関しては物理的にも大きな戦果を残しているので、「戦術的には」効果があったと評価できる。問題なのは、こういう究極の戦術を採らなければならない段階では、既に「戦略的に」逆転不可能な立場となっているということだ。
「カミカゼ」は高い戦果を挙げた、戦術的には無駄死にではなかったと、戦死者の霊魂があるのなら伝えたい。
いっぽうで、「カミカゼ」を実施するほどであるなら、既に勝ち目は無く被害を抑えるために敗北を受け入れ戦争を終結させなければならなかったのにそれが出来なかった価値観を撲滅し、明確な反省をこの国に残すことが、特攻という作戦の真の戦果なのだと思う。