「公共の福祉」ってなんだっけ

自民党総裁選に出てきた高市早苗という人。
この人は総裁候補の討論会で「公共の福祉という言葉が中途半端でわからん。『公益および公共の秩序』として、国民の命や国家の主権に関わるような事態に一定の制限ができる形をはっきりさせたい」と述べた。
感染症対策で政府や自治体が出す、「お願い」や「要請」に従わない人を苦々しく思った人は少なくないだろう。そういう人の「自由」はもっと強く制限されるべきという意見は、ネットでも多く見かけたものだ。
「公共の福祉」の「福祉」という単語が持つ一般的な印象は「弱者への社会援助、それに類する行政サービス」だろうから、高市氏の中途半端という意見も、「福祉」という単語が国民に与える印象を指しているものだと思う。
「 福祉」とは「 Welfare」の訳語で、「福」も「祉」も「しあわせ」という意味の漢字である。「 Welfare」は「Well(快適に・充分に)」と「fare(生きる・暮らしていく)」というふたつの単語を組み合わせて作られた単語である。(ちなみに厚生労働省は英語でThe Ministry of Health, Labor and Welfareと書く)
これは私見だけれど、主観的な幸福「Happiness」に対しての客観的幸福が「Welfare」ではないだろうか。主観的幸福が個人感情・感覚で定量化できないものであるのに対し、人の幸福具合を定量化し観測評価できるものを「Welfare」という単語を作って定義したのだと考える。
この考え方で解釈すると、「福祉」の意味は「(客観的観測で比較評価可能な定量化された)幸福」であり、よって「公共の福祉」とは「公共の幸福」を指すと演繹できる。
すると、高市氏が主張する『公益および公共の秩序』のうち、「公益」は「公共の幸福」を含有すると思うけれど、「公共の秩序」が「公共の幸福」とは必ずしも合致しない危険性を感じる。