野に咲く花のように

母がまだ生きていた頃、毎週日曜日になると「野に咲く、が始まる」と言ってテレビのチャンネルを動かしていた。芦屋雁之助の「裸の大将」を観るためである。
「裸の大将」こと山下清画伯は、知的障害のある放浪画家として有名な存在だったけど、このテレビシリーズは(元は小林桂樹主演の映画シリーズだけど)、知的障害の奇異な行動で侮られ、実は高名な画家であると判明して虐待した人たちが狼狽するという、「身分を隠した権威的存在」の水戸黄門的な逆転劇ドラマとして人気があった。ダ・カーポが歌う主題歌のタイトル「野に咲く花のように」が印象的で、母はこのドラマを「野に咲く」と呼んでいた。
このドラマの中で、知的障害のある山下画伯の描く絵画を、庶民は誰も価値を感じていない。実は高名な画伯であると知って、価値を「知らされる」のである。
では誰が「価値」を決めているのか。それは「折り紙を付ける」鑑定士的な立場の評論家や画商であり、さらにそれを担保しているのは高額な対価を払うコレクターである。つまり、作るのはクリエイターだけど、価値を決めるのはコレクターなのだ。クリエイターである山下画伯は、そもそも「価値」を作ろうだなんて、思ってもいなかっただろう。
「作品」の見方も、クリエイターの視点で見るのか、コレクターの視点で見るのかで異なってくる。そして、クリエイターでもコレクターでもない多くの人たちに影響力のあるのは、コレクターのほうだったりする。