「写実的」表現の価値

「写真」の発明は、視覚情報の伝達と保存の手段としての絵画の役割を奪い、印象派やキュビズムの発展を促した。写実性を活かす絵画は写真では撮影できない「目に見えないもの」を描くことで、写実性という説得力を活用するスーパーリアリズムに発展していった。
スマートフォンの普及と性能の進歩によって、誰もが静止画や動画を撮影し公開できるようになった。同時に動画の編集や静止画像の加工を支援するアプリケーションの発達も著しく、かつて職人技だった技術の大衆化がすすんでいる。
緻密さや写実技巧だけしかない作画からは工芸的な感動(技術と労力と時間)しか得られないけれど、それは原画を見てこそ感じられる価値であり、印刷や電波、ネットといった複製の流通を前提とした世界では、その工程自体を情報化しなければ伝わらない。なぜなら、複製を鑑賞しても、その作画にアプリケーション機能の支援が加わっているか否か、判断できないからである。
肉筆で写実性を表現できる技術は習得に時間がかかった貴い技術だと思うので、「本物と見紛う視覚情報」の作成に留まらず、写真では撮影できない「存在しない視覚情報」にその写実技術が持つ説得力を活かして創作表現したら、どれほど素晴らしい出来栄えとなることか。

基礎画力育成のためのデッサンは否定しないけれど、視覚対象を視覚情報としてだけ忠実に再現することは、写真に任せておけば良い。
作画による創作表現とは、自然には共有できない視覚情報の生成だと思う。妬ましく羨ましい技術を持っていながら、技術力を見せびらかすパフォーマンスだけに終わっていて、創作表現としては物足りない作品が多いので、その技術に対する嫉妬と賛辞を込めて書いておく。