「成長」の再定義

夢を追った代償として、零細企業からブラック企業、果ては巨大外資ファンドの傘下まで経験し、労働者としては最下層から最上位のポストまで経験できたのは、結果的に有意義な人生だったのだろう。
自分がたいした事のない人間だと何度も思い知ったし、情愛のある個人も組織化されてしまうと、考えつく限りの冷酷な行為を為し得るのだと驚かされ、都市伝説のような陰謀も、それによって利益を得る者がいる場合は、必ず見つからない形で用意され社会に潜んでいることも経験した。
学術の深化によって人々の抽象的認識は多様な何者かに洗脳されて分断し、いっぽうで具体的認識は常に刹那的な付和雷同を起こし集散離合を繰り返す。
そんな混沌の中で自己の経験則から見出すのは、他者との競争に勝つことを「成長」と讃え目的化し、その結果から幸福感を得ようとするのは修羅の道だということ。
「成長」とはどれだけ利他的になれるのか、という修行の過程を測る言葉なのだと思う。