健康的な死

健康保険に大きく頼る年齢が、そう遠くない未来となってきなと頭に浮かんだ。
もしも高額な医療コストがかかる場合、「他人の出した金で長生きなんぞしたくない」というのは傲慢な気もするし、「他人の出した金に頼ってでも長生きするんだ」というのも強欲な気がする。自分が死んだあとに、「傲慢な人だったね」と「強欲な人だったね」のどちらに思われたいかと考えると、「傲慢」のほうがマシかな。そもそも僕以外の人間が、僕のような評価をするとは言えないけどね。
「肉体が死んでも個性を留めた思念は存続する」という、他人に対しては説明が不可能な不思議な確信があるので、死ぬこと自体は僕にとってリセットみたいなものだ。ただ、死に至るまでの身体的苦痛や閉塞感、孤独感がとても恐ろしい。
つまり僕は、死を恐れるとしたらそれに至るプロセスを恐れているのだ。そして、その恐怖を取り除いた健康的な死というものが開発されるといいな、なんて妄想してみた。