論理は情報であり、印象は感情である。
行動が論理に支配されるロボットのような人は稀であり、人間の知性は常に感情の干渉を受けている。
自分は論理的であると思いこんでいる人は、ただ単に「論理的でありたい」という感情と、「自分は論理的である」という印象に支配された自惚れに過ぎない。
相手が人間である場合、発信する情報に齟齬が無いとしても断片的で脈絡が補完されていなければ、人の印象に干渉し感情に影響を及ぼす事はできない。
報道や政治や日常のコミュニケーションであっても、知性からのトップダウンを感情からのボトムアップで受け止められるものに、情報を翻訳する必要がある。
悪く言えば「印象操作」であり、善く言えば「思いやり」である。