社会的性格

デイヴィッド・リースマンの説く社会的性格とは、個々人の性格に由来するのではなく社会環境に由来する。
それは文明の発達とともに、伝統指向型→内部指向型→他人指向型と変化する。
・伝統指向型…慣習が伝統として体系化され、人々は恥に対する恐れによって動機付けられる(道徳)
・内部指向型…教育によって道徳律が刷り込まれ、人々は罪の感覚によって動機付けられる(宗教)
・他人指向型…他人の動向に注意を払い、道徳的な観念ではなく不安によって動機付けられる(情報)
文明の発達とともに人を律するものが、「恥を知る」から「罪(神の罰)を畏れる」、そして「情報がもたらす不安」と変遷していくのか。
人間性の解放を求めて伝統を破壊した結果、「恥」の概念は多様化して「罰」の効力を失い、科学の進歩によって「神の罰」を恐れる「罪の意識」は形骸化し、情報伝達手段の発展と民主主義によって、大衆すら評判を気にして仮面を被る社会となったんだな。
文明国の代表として米国を見れば、そこは「道徳的」や「信仰の厚い」という仮面を被った人が評判を集め人気を得ている、さながら「仮面舞踏会」の如き様相だ。
日本もそうなっているのであれば、せめて、たとえ他人がどう見ようともオリジナルの手作り仮面を被って生きていこうと思う。