自由からの解放

かつて注文に応じてバナーやポスターを描いていた頃は、思わぬ修正依頼に落胆したり、依頼主のセンスの無さにガッカリもしたけれど、現役を引退し何を描いても自由な立場となってみて、「自由の不便さ」を痛感している。
依頼主の要望(嗜好性)や納期という束縛が、制作促進と技術の向上に寄与していたんだな。
学生の頃のレポートだって、テーマや紙数が自由だったりすると、何を書いていいのか迷い構想が纏まらなかったりしたものだ。
そのように考えると、「束縛」というものは人を「自由」という無秩序な不安定さから解放するものなのかも知れない。
飛躍して考えるならば、就職や結婚、国家という「制度」や、法令・規則というものもその類だろう。
「程よい束縛」を探し求めること、それが民主主義の目的になるのかと考えると、程よい束縛の提示が無い候補者ばかりで投票先に迷う。