それもこれも僕なのだ

僕は生来、怠け者なのだ。
否、定期的に怠け者と働き者とに入れ替わる。
ものすごい勢いで何かに打ち込んでいる時期と、な~んにもする気にならず、な~んにもしていないことが気にならない時期とがある。
今は、怠け者である。
意気込んで作っていたLINEスタンプも、今は棚上げしている。
また、作りたくなる時が来るから、今はいいかな、なんて思う。
勤勉な時期の僕はよく、怠惰な時期の自分を責める。
怠惰な自分さえ居なければ、もっと作画が上達しただろうし、創作者として名声を得ていたかも知れない。若い頃の大学受験でも、もっと上位の大学に受かっていて、人脈と学識を養い安定と富裕を手に入れていたかも知れない。
そんなふうに、怠惰な僕を責めるのだ。不幸・不利益の原因は「怠惰な自分」なのだと。
今は、そんな勤勉な時の、自分にも他人にも厳しい自分を「嫌な奴」だと思う。
怠惰な時の僕は人との交際も面倒臭いので、できるだけそれを避ける。
僕が自分から人に働きかけるのは、勤勉な時の自分である。
だから、要求が多くジャッジの厳しい僕しか、他人は知らないだろう。
怠惰な時の僕は、きっと他人から見て「いい人」なんだと思うけれど、それは誰も知るまい。