小泉進次郎氏への不躾な質問で注目されたフリーランスジャーナリストの田中龍作氏。翻訳家の妻に養われながら、自由な報道活動を続けるこの人の素性は謎に包まれている。
ここの記事から受ける印象では、僕と同世代か少し年長の左翼学生運動出身を想像させるけど、その(たぶん国際金融資本主義の世では陳腐化されつつある)弱者・貧困の側を擁護する姿勢を、僕は嫌いではない。
現代のジャーナリズムの原点にある、人間の営みを科学的に解析して幸福の実現を求める「社会科学」が結局陳腐化するのは、客観を科学と信じて社会事象を収集分類して相対化してみても、そこから先の推論が哲学に収斂するからだと考えている。人類全ての幸福など存在せず、誰を幸福にするのかの選択を正当化する論理を組み立てているに過ぎない。
たとえば貧困格差の打開には偏在している富の再分配が必要であるけれど、富める国の貧困層は地球規模で俯瞰すれば富者の一翼であり、再分配によって少なからず奪われる側であると、富める国の民衆は本能的に気づいているかも知れない。そのように考えると、富める国のポピュリズムを単純に「衆愚」と見下すジャーナリズムは、いささか乱暴なのではなかろうか。自国民を搾取する側に導き留める指導者を求めるのが、民衆の自衛本能かも知れぬ。だからと言って、理想主義的な主張が無価値だとは思わないが。
地球人類にエゴがある限り、アセンションなどするものか、などと思う今日このごろ。