民営化と私物化

赤塚不二夫先生のキャラクターで目玉の繋がった警察官がいるけれど、彼の名前は白塚フチオといい、公務員ではなく民間人なのだ。実は、個人で交番を営む民営警察なのであった。
銃器を携帯使用できる米国では私立探偵が民営刑事のような存在として小説や映画・テレビに登場するけれど、日本で個人経営の交番を営む制服警官というアイデアは秀逸だろう。
米国では公設の刑務所に囚人を収監しきれず、民営の刑務所があるそうだ。囚人を長時間低賃金で使役して利益を出し、さらに囚人の生活物資を刑務所内のマーケットで購入させ、そこでも搾取する。そんな刑務所なんて、日本ならマンガの世界でしか存在しないだろう。しかし米国には実在し、旨味のあるビジネスとなっている。
無謬性と公平を重視せざるを得ない「公営」は費用や運営に無駄が多くなりがちで、経営合理性では「民営」に太刀打ちできない場合が多い。だから日本でも、行政に任せるより民営化が望ましいという米国流が正当化されてきたけれど、「民営化」とはすなわち「私物化」なのだ。なんでも国営・公営で失敗した共産主義を嫌うあまり、民主主義が民営主義に傾き過ぎると、司法も行政も立法さえも私物化されていく。米国では再選されたトランプが、まさにそれを実現しようとしている。
作者はそこまで考えていなかっただろうけど、天才バカボンに出てくる自営警察官は、その戯画化であり警鐘となっている。