人工知能に奪われない仕事

転職を繰り返してきた人生で、僕は豊かな経験を得ることができた。
他社が発明・開発した商品(ないしアイデア)をただ売るだけの中間業種での経験では、商品力や生産力、納品力、価格での差を作ることが難しいため、基本的に買う側はどこから購入しても同じであるので、売る側は仕入先と買ってくれる先との親密度だけが武器となり、「(酒を)飲ませて・(女を)抱かせて・(商品を)売る」というスキームが、会議室でのプレゼンテーションよりもはるかに強力であることを知った。人脈は会議室で作られるのではない。盛り場で作られるのだ。
こういう、私生活でも遊び人で宴会を盛り上げ参加者を楽しませる能力のある人が「有能」とされる世界では、僕はまったく通用せず去ることになる。
日本の会社では、有能な者に高い報酬を保証するためには社内での階級を上げることが必須である場合が多いので、このような人物が多くの部下を持つ立場に昇進していく。
年功序列を廃する能力主義の風潮の中で、個人の業績が組織での階級に反映していくのだけれど、トップセールスがリーダーとしての資質を持つわけでもないのに、ただ酒と女が好きな人物が「お偉いさん」になる業種もあるわけだ。
人工知能が人間から仕事を奪っても、盛り場で人間関係を築く仕事は安泰なんだろうと思うとなぜか腹が立つ。