選択的夫婦別姓よりも、いっそのこと夫婦創姓

僕は肉体とは別に精神個性が存在するという、他人には説明できない「筋の通らない確信」を持っていて、かつて何度も様々な宗教・信条のもとで人生を過ごし、そしてこの人生を終えたあと、また別の環境で人生を過ごすだろうと信じている。「人生」と言っても人間以外の生物かも知れないし、地球以外の環境かも知れないな。
僕の遺骨は「鈴木家の墓」に納骨されるのだろうけれど、それは僕の遺族のためのモニュメントに過ぎない。精神個性は同じ血族内で転生するわけではないので、先祖も子孫も出身校の先輩後輩程度の関係であり、その関係性も限りない転生の中での、膨大な数のひとつに過ぎない。
そのように信じる僕にとって「姓」とか「家」などというものは、人種や民族と同じく一時的な属性に過ぎないので、議論されている選択的夫婦別姓という問題も、僕にとっては些事である。
夫婦間や親子間で姓が違うことへの感情論は、慣れの問題に過ぎないだろう。今だって婚姻によって姓が変わった女性が、それを理由にイジメられることは無いだろうし、嫁いだ娘の姓が変わることを、親は受け入れてきたじゃないか。いっそのこと、婚姻によって新規に姓を作り戸籍に登録できたら良いかもね。
うん。「夫婦創姓」のほうが、新しく家庭を築く門出にふさわしい。