僕は「保守」なんだろうか?

僕は民族の自尊を担保する伝統文化のひとつとして、国家がコストを担って王族の家系に、国家権力と遮断された形での特殊な地位を宛行うことに反対ではない。現在の立憲君主制に歴史的なロマンを感じ、国家の伝統文化として守られることに好意的な心情を僕は持っている。そういう立場で僕は天皇制賛成だから、思想的には「右」であり「保守」に属することになるのだろう。
ただいっぽうで、皇室に生まれた個人が一般国民の持つ「選択の自由」を制限されていることに同情し、その意味で天皇制の持つ非人道性が気に食わない。皇族に対し「税金で贅沢している」という揶揄があるけれど、「豊かさと自由」という観点から言えば、富裕層国民の家に生まれたほうが間違いなく豊かな自由を満喫できると思う。生まれながらに皇族としての義務を負わされ束縛される人生が、他の「跡継ぎ」たちがある程度課せられている不自由さに比べても、途轍も無く重苦しい。
義務を負わされる家系の子どもたちに少しでも選択の余地を与えてあげたいと考えるならば、「皇位継承を男系男子に限る」というルールを外してあげたい。
「男系男子」にこだわる人々は伝統の重さを主張するけれど、古代の天皇のY遺伝子を伝えてきているのか、はなはだ怪しい。江戸時代以前の御所や宮家が、徳川将軍の大奥や中国皇帝の後宮ほど厳重警備であったとは言えないと思われる。あの天下人豊臣秀吉でさえ、秀頼が実子なのか疑われるほどである。他人の子を自分の子だと信じた男性は、歴史上数限りない。もともと「男系男子」は軍制に根ざす文化なので、従者を率いて戦場に出る時代でもないのだから、今となってはナンセンスだ。
男系でも女系でも、現在の皇室の家系を保てばいいじゃないか。生物としては、Y遺伝子よりもミトコンドリアのほうが重要かも知れない。そして、家系の中で義務を引き受ける人がいなくなったら天皇制を終了し、政治権力とは分離した文化的国家元首を選挙で選べば良い。
う~ん、僕は「保守」と呼べるのかな?