ハイコンテクスト文化の喪失

文化人類学にはコミュニケーションスタイルで、ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化に分ける識別法がある。
「コンテクスト」とは「文脈・脈絡・前後関係」などの意味で使われることが多い単語だけれど、ここでは「コミュニケーションの基盤である言語・共通の知識・体験・価値観・ロジック・嗜好性など」を指すのだそうだ。
ハイコンテクスト文化とはコンテクストの共有性が高い文化を指すそうで、言語に省略や指示代名詞が多いのが特徴であり、多義的な単語の意味をその都度共有できる文化でもある。その最たる代表例が日本文化なのだそうだ。一方で英語はローコンテクスト文化であるとされる。
路傍に顔色の悪い人が蹲っていたら、英語圏では「Are you OK?」と声をかけ、声をかけられた人は「No…」と答えるのが一般的だろう、OKな状態ではないのだから。
これが日本だと「大丈夫ですか?(私は貴方の健康上の不調に気づいています。貴方は私の援助を必要としていませんか?)」と声をかけ、声をかけられた人は「大丈夫です…(ご親切にありがとうございます。御明察の通り、私は体調を壊しておりますが、貴方のご親切に甘えるのは忍びないので、自分ひとりでこの状況の打開を試みるつもりです…)」と答える。まあ、「大丈夫です」が「助けてください」の場合もあるだろうけれど、それは受け取る人間のコンテクスト感性に委ねられる。
肯定的評価である「結構」が拒絶の意味で使われたり、「適当」が不適切でいい加減という意味で使われたり、日本語はまさしくハイコンテクストだ。
電子掲示板の昔からSNS時代の今日まで、多くの日本人は長いテキストを好まず、自らのコンテクストを基準に省略したテキストを投稿し、読み手は異なるコンテクストによって「誤解」や「反感」を呼び覚まして、的外れな「憎悪」が産まれ「炎上」が起きたりしている。
インターネットでは、日本人はハイコンテクストではないように思う。