岬とおるの命日
岬とおるの死を知ってから、初めての彼の命日である。 過去13回の命日を、僕は彼の死を知らずに過ごしてきた。 仕方が無いと解っていても、生きている間にもう一度、逢っておきたかったという後悔は拭えない。 今夜は彼の遺作に彩色 … “岬とおるの命日”の続きを読む
岬とおるの死を知ってから、初めての彼の命日である。 過去13回の命日を、僕は彼の死を知らずに過ごしてきた。 仕方が無いと解っていても、生きている間にもう一度、逢っておきたかったという後悔は拭えない。 今夜は彼の遺作に彩色 … “岬とおるの命日”の続きを読む
7月28日、台風12号が接近中の静岡市に赴き、相沢先輩との再会を果たした。 おもちゃデザイナーとして、育児評論家として活躍を続けている先輩であるが、実に35年ぶりに会うことができた。 かつて僕が憧れた、先輩特有の「尖らな … “相沢先輩と35年ぶりに再会”の続きを読む
岬とおるが既に亡くなっていたという事実は、僕のささやかなお絵描き人生における最大事件だった。 外国に去っていったというのなら、現代はなんらかの通信手段でコンタクトできる。 しかし、黄泉に逝ってしまったのでは、もうどうしよ … “岬とおる関連の作画”の続きを読む
梅雨入りし、長期予報でも雨模様の中で唯一の晴れの休日だった昨日、岬とおるの墓に二度目の墓参。 最初の墓参から約一か月ぶりだったけれど、家族が死に絶えた彼の墓は思ったとおり汚れていた。 軽く清掃をして花を供え香華を手向ける … “岬とおるの墓に再び”の続きを読む
このサイトの復活に際し、昔懐かしいBBSを設置してみたけれど、荒らされてしまったので撤去しました。 ある程度の予測はしていたけれど、昔のセキュリティの仕組みでは現在に通用しませんな。 投稿されることも滅多になかったので実 … “BBS撤去”の続きを読む
1973年の夏、当時高校1年生だった僕と岬とおるは、四谷公会堂で開催された「第2回漫画大会」に参加した。 この漫画大会は内部分裂ののち、コミックマーケットに発展し同人誌文化の担い手となったものだけれど、当時も既に同人誌の … “「あぴいる」と「ぱんぷきん」”の続きを読む
数日後に岬とおるの墓をお参りする。 もっと彼の作画を見たかったな。 技術的に巧い人は大学の漫研や同人雑誌にもたくさん居た。 でも、ヤツの才能に匹敵するセンスには、お目にかかったことが無い。 【追記】 5月4日に岬とおるの … “孤高の才能”の続きを読む
同人誌活動におけるライバルは、わらべあきひとだった。 彼は僕と同じように筆名を変える人だったので、ここでは僕にとって最も印象に残る時代の筆名を採りあげておく。 僕が「ぱんぷきん」を創刊する前年、1973年の暮れに文芸同人 … “わらべあきひとに捧ぐ”の続きを読む
旧友が先に墓参したとの連絡によって、岬とおるの墓所が判明した。 静岡市にある久應院の墓苑に眠っている。 平成16年(2004年)9月11日に亡くなっていた。 1970年、当時中学1年生の僕が入部していた野球部に彼が転校生 … “岬とおるの墓所”の続きを読む
CLIP STUDIO PAINT体験版で、引き続きレイアを重ねて合成する練習。 今回は、写真を背景にキャラクターを配置してみた。 緻密な背景画を描いて観る人を唸らせようなどという欲は無いので、写真を背景にしてキャラクタ … “画像合成の練習(笑)”の続きを読む