断捨離

転職と転勤で、結婚してから5度の引っ越しを経験している。そのたびに結婚前から持ち込んだ物を処分してきた。その中には漫画家を目指していた若い頃に使っていた、漫画を描くための道具類もある。僕は過去の思い出に浸って独りメソメソすることが好きなので、思い出の品物を処分するのはとても辛い。毎回、断腸の思いなのである。しかし、何十年も使わない道具を引っ越しのたびに帯同するのは「お荷物」であるので、家内が遠慮がちに処分を薦めてくれば拒絶する理由も無い。処分するたびに断腸の思いであると書いたけれど、実はその後ケロッと忘れる。そりゃそうだ、何十年も使わずにいた道具だもの、存在すら忘れていたものが多いのだから。

そのようにして、結婚32年の間に少しずつ処分してきたけれど、ついにこれを廃棄する時が来たのか。レトラのスクリーントーン収納ケースである。値段は忘れたけれど、大学生の僕にとっては、ものすごく高いものだった。カタログで見て欲しくなり、取り寄せで購入した。中に入っているスクリーントーンも僕には高価なものだったから、それを収納する容れ物にもこだわったのである。道具にお金をかけると、不思議と気持ちも充実してきて、それだけでなにか満足感を味わっていたな。使い残したスクリーントーンが、まだたくさん入っていた。小さな切れ端まで大切に保存している。なにしろ高価なものだったし、切れ端は切れ端で使いみちはあったからね。
この古道具を見ていたら、もう先に逝ってしまった大切な漫画仲間のことが思い出されて、しばし寂しくなる。彼が逝ってから、もう16年経つのか。独身のまま亡くなってしまい、ご両親もお兄さんも亡くなって、彼の家族はもう誰も残っていない。
役職定年を機に昔の仲間を探し訪ねて、彼がもう亡くなっていたことを知った。それ以外の仲間も、ある者は最愛の妻を失くして抜け殻となっていたし、ある者は人生に傷つけられ過ぎて創作意欲を失っていた。
今の僕だって人のことをトヤカク言える立場ではないけれど、死んでしまったアイツも含め、僕たちはみんな、若い頃に野心と夢を胸に秘めていたのだ。そんな思い出の詰まった最後の品を僕は断捨離するけれど、若き日の思い出は永遠に胸に残る。