心にも あらでうき世に ながらへば

『月ぞ流るる』澤田瞳子著
市立図書館に貸出申込みをして、順番待ち数ヶ月。ようやく順番が回ってきて、面白いので一気に読み終わった。
三条天皇東宮時代の妃である原子の死の真相を究明するミステリーであり、その過程で平安宮廷の構造的な問題に気づいていく赤染衛門が「栄花物語」を書く動機を育む、人間ドラマとなっている。

心にも あらでうき世に ながらへば
恋しかるべき 夜半の月かな

百人一首の三条院のこの和歌は知っていたけれど、僕にとっては《その他大勢》的な存在だった。
この小説の中で、権力モンスター藤原道長に追い詰められ、ついに退位する際にこの歌を詠んだシーンを読んで、僕の中でこの和歌の味わいは変わった。小説家の創作したシーンではあるけれど、歴史的な解説だけでは伝わらない詠み人の心を、小説家の主観という支援のもとで受け取ることができた。
とは言え、たとえ和歌の一字一句を変えていなくとも、その詠まれた背景を小説家が創作した世界の中で知るのだから、僕の和歌に対する印象は小説家に操作されている。僕が受け取った「主観」が詠み人のものなのか、と問われれば、たぶん夾雑物が含まれているだろう。
和歌を声にして読んだ時の音律の心地よさとか、言葉の印象に基づく独自の解釈で気に入る場合もあるけれど、古い時代の和歌は、生きている時代が違い、使っている言葉も変化しているから、古人である詠み人の本意を知ることは難しい。ましてや、平安貴族の和歌には、歌合の折の兼題や探題に合わせた虚構も多い。
古典研究者の解釈と解説、もしくは今回のように小説家が作る情景を通して、古人の込めた心情を味わうことも許される範囲だと思いたい。楽譜の読めない者が演奏家の力を借りて、音楽を味わうようなものなのだ。