1974年のバースデーカード
65歳でサラリーマン人生を終わった機会に、身辺整理をすることにした。今までも転居のたびに荷物を減らす目的で処分はしてはきたけれど、愛着のある物や思い出のある物は捨て切れなかった。今回は人生の節目でもあるので、今までにない … “1974年のバースデーカード”の続きを読む
65歳でサラリーマン人生を終わった機会に、身辺整理をすることにした。今までも転居のたびに荷物を減らす目的で処分はしてはきたけれど、愛着のある物や思い出のある物は捨て切れなかった。今回は人生の節目でもあるので、今までにない … “1974年のバースデーカード”の続きを読む
日本では、中小零細事業者が金融機関に借り入れを申し込む場合、必ずと言っていいほど社長個人が連帯保証人となることが条件となる。そして借り入れを増やそうとすれば、社長は親族や友人にまで連帯保証人を頼むような事態となる。 父の … “連帯保証人制度の廃止を望む”の続きを読む
1977年の国連会議(ジュネーブ)における国際インディアン条約会議の宣言 我々の民族名は「アメリカインディアン」である。我々は「アメリカインディアン」として奴隷にされた。我々は「アメリカインディアン」として植民地化された … “アメリカインディアンという宣言”の続きを読む
子供の頃からひとり遊びが好きだったけれど、寂しいのは嫌いだった。同じ屋根の下に家族が居ることを確認し、それで安心してひとり遊びに没頭していた。油粘土でいろいろ作ったり、画を描いたり、漫画や物語を読んでいたりして、ひとりの … “大衆の亜種”の続きを読む
生きていれば、今年米寿だったんだな。
岬とおるの作品サイトを作りたいと考えていたけれど、故人の希望を想像するに、僕ではなくS君の手によるべきだと考えていた。 S君は岬とおるのパートナーであり、プロデューサーでもあった。岬とおるが作品と呼べる作画を残せたのは、 … “岬とおる記念館”の続きを読む
22か23の頃。この僕は、何を考えていたのだろう。
「節電の夏のオアシス ーエアコンを切ってボウリング場へ行こうー」というキャッチコピーは、ずいぶん前に僕が作ったものだ。 コロナ禍が下火になるとともに集客の回復を狙うボウリング場から、以前作ったポスターと同じものを依頼され … “節電の夏のオアシス”の続きを読む
僕はSNSを使っていても、検索して探しだしたもの以外は他人の投稿を積極的に見ないし、見たり読んだりしても感情を動かされない限り「いいね」などをしない。 社交辞令の応酬による「交流」に魅力を感じないし、そもそも面倒くさい。 … “人間嫌いの寂しがり屋”の続きを読む
このところ取り組んでいるベクターレイアでの作画法で、自画像を描いてみた。 白髪が増えたな。あと3週間余で64歳だもの。