続・一寸の馬鹿にも五分の魂

前回の文章で、「賢者」にもなれず、「無思考の愚者」にも「同調指向の愚者」にもなれない究極の愚者を、僕は『馬鹿』と呼んだ。読解力があれば、僕が『馬鹿』と呼ぶ対象が僕自身だと解るだろう。僕は『馬鹿』であることを自覚している。しかし『馬鹿』であることをやめる気はさらさら無いし、『馬鹿』であることに誇りを持っている。だから一寸の馬鹿にも五分の魂というタイトルを付けているのだ。
我々『馬鹿』は、社会の意志を測るアンケートとか世論調査の選択肢に、選ぶべきものが無いことも少なくない。「その他」を選び理由を書くこともあるけれど、公表される結果に反映されたためしが無い。このように、社会的に『馬鹿』とは「その他」でしかないのだが、「その他」は種々雑多な価値観の集積であるがために、「その他」同士で仲間になることも無い。『馬鹿』として生きるのは、孤独な道なのである。

この文章を書いている現在も、世界は新型コロナウィルスの大流行を恐れ、日本でも緊急事態宣言が延長された。
山梨県と東京都を行き来した女性が感染者と判明し、その行動が猛烈な批判を浴びている。感染経路解明のための調査で女性の行動申告の矛盾が指摘されて更に批判は高まり、この女性はまるで放火魔のような扱いである。女性の行動に軽率さや迂闊さはあっただろう。けれどもそれは結果としてであり、誰もが犯す可能性のあるミスだと思う。感染した人は被害者であるはずなのに、COVID-19に恐慌している社会は「他を感染させる危険人物」として扱う。感染者の行動調査も犯罪のアリバイ捜査に似てきている。そういうプレッシャーから早く逃れたくて、彼女は虚偽の申告をしてしまったのだと僕は想像する。
感染拡大を防ぐために商業施設に臨時休業の要請がある。人権を抑圧する法律を作れない素晴らしい国家なので、命令ではなく要請なのだ。要請なので、従わなくても罰則は無い。無いから従わずに営業を続ける商業施設も出てくる。その権利が残されている法律なのだから仕方が無いのだ。それを「ずるい」と妬むのは筋違いだと僕は思う。ビジネスの判断は利益追求であるから、どうするのが利益なのか、という判断がすべてだろう。休業要請を無視して営業を続けることが利益となるのか、要請に従うことが利益となるのか。
僕の勤務する会社では19の事業所すべてを臨時休業とした。固定費比率の高い装置産業なので休業による逸失利益は大きい。しかし、従業員と消費者を感染リスクから遠ざけるという選択は、経営方針の健全さを消費者にアピールできる点と、安心できる就業環境だとして従業員の帰属意識を高める点において、大きなメリットを産む。この利益を選択した経営判断は、ロングスパンで考えると逸失利益よりも大きい可能性がある。
緊急事態宣言に伴う特措法をよく読めば、要請はどこまでいっても要請ではあるが、要請に従わない場合には段階的に懲罰的な色彩を帯びた要請となっていくことが解る。この懲罰的な方法すらも無視できるものかも知れないけれど、そこまで行政当局に睨まれるデメリットは計り知れない。警察も税務署も行政なのである。そういう公権力をまとめて敵に回すデメリットは、ビジネスシーンでは避けるべきだと思う。
僕は、個人が自己表現をおこなううえで公権力に逆らう反骨漢を好み応援する気質を持っている『馬鹿』ではあるが、ビジネスでは『馬鹿』を捨て「賢者」を目指すべきだと考えている。最悪でも「同調指向の愚者」を選ぶだろう。それが出来ないのは「無思考の愚者」か「確信犯的悪行指向の賢者」なのだと思う。ともあれ、良心の無い者と頭の悪い者は『馬鹿』にはなれないのだ。