岬とおるが既に亡くなっていたという事実は、僕のささやかなお絵描き人生における最大事件だった。
外国に去っていったというのなら、現代はなんらかの通信手段でコンタクトできる。
しかし、黄泉に逝ってしまったのでは、もうどうしようもない。
彼の死を知ってから、僕は3枚の作画をした。
彼の死を確認してまず描いたもの。
僕にとっての彼の墓標を描く結果となっている。
そして、岬とおるの一番の理解者だった「チロンヌップ」誌編集長、柴田氏のために描いたもの。
その後、哀悼の念が強まり描いたものがこれ。
どれ一つとして岬とおるの作画には及ばない。
僕は永久に追いつけない才能と出会い、そして一方的に去られてしまったのだな。