皇族に生まれた不幸

眞子様と小室さんの結婚問題について、相変わらず小室さんが攻撃されている。
憲法では「婚姻は両性の合意のみで成立…」と規定されており、惚れ合った若い男女が双方望んでいるのだから結婚させてあげればいいと僕は思うのだけれど、眞子様が皇族だからそれが難しいのだな。
小室さんがどういう人物なのかは知らないけれど、実体とは別の「嫌な奴」という虚像がマスコミによって作り上げられているように思われ、それを鵜吞みにする善良な人々が眞子様の行末を案じて結婚に反対し、世論が形成されているのではないだろうか。
立派な人格や優れた知性を備えた人でも離婚することがあるくらい難しいものだから、眞子様も小室さんとの結婚が失敗だと判断したら、離婚すればいいだけのことだろう。
もしも「おふたりの結婚には税金が使われる」という理由で皇族の結婚相手に国民の同意が必要ならば、国会の議決をもって決すべき案件となるし、皇室費用(税金)を使わず皇籍を離脱し入籍するだけなら国会決議を免除するという救済策があっていい。
こんなことを考えていたら、「皇族に生まれた不幸」という言葉が浮かんできた。
同じ世襲制でも歌舞伎の名門に生まれたほうが、皇族に生まれるよりも幸福に思える。
皇室予算がいかに巨額であっても恣意的に濫費できるわけではないし、むしろ富裕な家庭に生まれた子女の方が、人生は豊かであり自由である。
国家予算で特定の家系を培養し、人権や自由を奪って役職を強制するのはどうなんだろう。
皇統を継ぐ方がいかに帝王学を授けられようとも、自らの運命を悲観する時が無いとは言えないだろうと考えると、痛ましく思えてしまう。
婚姻の自由も職業選択の自由も初めから無いというのは、国家として誇れる制度だろうか。
せめて皇籍離脱の自由(復帰は認めないでも可)があれば、眞子様は自由の身となって小室さんと一緒になり、おふたりで生計を立てていく自由な人生が得られるだろう。