追悼 岬とおる

高校1年生の夏休みに一緒に東京まで行って「第2回漫画大会」に参加し、同じ夢を持って漫画同人誌「ぱんぷきん」を旗揚げした無二の友、高浜克好君(筆名:岬とおる)はもうこの世にはいない。

僕の手元には、彼が大学を卒業する時に描いた、明治大学SF研究会生田支部機関誌(当時)「一点鎖線」の表紙画稿が残っている。
漫画家になる夢を捨てきれず東京に残った僕よりも、就職して東京を離れていく彼のほうが優れた画力を持っていて、僕は自分を切磋琢磨する戒めのために、彼にお願いして画稿を譲り受けた。
上品でロマンティックな彼の画風に憧れ、その画力を妬み羨んだものだったけれど、ついに僕は、彼を越えることが出来なかった。

「ぱんぷきん」時代の筆者(左)と岬とおる(右)1974年頃