アポステリオリに生きる

この宇宙の事象はすべて、体験(観測)以外に知ることはできない。
数学的に表現できる仮説が観測によって実証された場合にだけ、体験せずとも「先験的に知っている」事象として人類は共有できるけれど、それは今のところ限られたものである。
例えば「愛」というものは数学的に定量化できないので、そのボリュームの比較は不可能である。「母性愛」というものを想像することは出来ても、実際に子どもを産んだ女性にしか体験できないものであり、しかも個人差も存在するので、正確な情報としての共有化は不可能である。
ましてや「愛」に「神」を加える宗教となると、体験者はかなり希少(たぶん絶無)であろう。実態は「権威」に担保された者がテキストを用いて信者を説得する行為であり、双方ともに体験は無い。実務経験が無い研究者が教えるビジネススクールのようなものであり、ペーパードライバーが教える自動車教習所のようなものである。
百歩譲って体験者が自らの体験を信じるのは自然であり是認できるけれど、数学的に表現できない仮説をもって未体験者の説得を試みてはならない。
畢竟、「愛」があれば「神」は備わっているので、いちいち「神」を学ばなくて良い。そして「愛」は情報ではなく体験である。「愛」を体験すべく、人は生きていくべきなのだ。