柳亭痴楽の七五調の語り口は、三遊亭歌笑から引き継いだものだったんだ。痴楽が使っていた「破壊された顔の持ち主」という自己紹介フレーズも、歌笑が使っていたものだった。落語界が剽窃を咎めず認めているから、ふたりはライバルながら、きっと仲が良かったのだろう。戦後初の真打ち昇格で、三代目歌笑と四代目痴楽と五代目柳家小さんが、『若手三羽烏』と呼ばれていたらしい。五代目小さんは落語家として初の人間国宝に認定された人で、永谷園のインスタント味噌汁のCMに長く出ていて顔が売れた人だったけど、僕はこの人を見ると蕎麦が食べたくなる。
僕の子供の頃の《爆笑王》は林家三平(初代)だったけど、三平は《元祖爆笑王》である歌笑に憧れていたそうだ。
ともかく観客を笑わせることを優先する爆笑系は、正統派の落語を好む席亭や落語愛好家からは忌み嫌われたから、七代目林家正蔵の息子だった三平はまだしも、後ろ盾の無い歌笑は激しいバッシングを受けた。寄席から締め出されてラジオに活路を見出し、それが知名度を高め人気に拍車をかけることになった。
東京の寄席では落語以外の演目を「イロモノ」と呼んで蔑む文化があったけれど、新作落語を発展させて落語の常識から飛び出し、スーツ姿で高座に座り爆笑をさらう歌笑は、人気を妬まれ、芸風を疎まれ、虐められたのだろう。
枯淡の「名人」に聞き入るのも、「爆笑王」で刹那の憂さを晴らすのも、どちらも落語の存在価値だと思うけどな。