This is a pen.

「This is a pen.」っていうのは、僕の子供の頃のドリフターズ荒井注さんのギャグだった。中学英語の初期に習う基本文なので当時の日本人にとっては「初歩の英語」という共通認識があって、英会話が必要なシーンで荒井注さんがこのフレーズを言い放つことは「英会話なんて糞食らえ!」と言うに等しく、英会話が出来ない多くの日本人の溜飲を下げたものだ。(と、勝手に想像している。当時は子供だったので)
「僕のペンはどこだ?」という文章を英訳すると、多くの人は「Where is my pen?」となるのではないだろうか。中学の時にそう習ったものね。それ以降の英語の授業では構文はもっと複雑化していったから、こんな単純な英作文の記憶は中学で習ったままではないだろうか。
でも、「Where is my pen?」では「僕のペンどこに隠した!」というニュアンスになってしまうそうで、正しくニュアンスを伝えるためには「Where did my pen go?」と言わなくてはいけないそうだ。
だったら中学でもそう教えてくれたら良かったのに、と思うのだけれど、とりあえず現在形で一通り教えてから過去形という順番だったので、「Where is my pen?」という例文を扱っている時期には、「Where did my pen go?」は教えられなかったんだね。
日本の外国語教育は、明治時代から「原書を読める」ことを目的としてきたから、文法を修め単語の意味を調べて読解するスキームを学ぶことだった。「原書」とは多くの場合文学作品ではなく学術専門書だったので、表現のニュアンスは重要視されなかったのだろう。
少なくとも昭和時代までの外国語教育はそうだったけれど、今はコミュニケーション重視に変わっているのかな。