箱根八里は僕でも越せる

既に大学2年生になっていて、東京都調布市にアパートを借りていた19歳の頃のことである。静岡市の実家に帰省中だった夏休みのある日、父親と口論になって激怒した僕は家を飛び出し、高校時代に通学で使っていた自転車で調布のアパート … “箱根八里は僕でも越せる”の続きを読む

新・一寸の馬鹿にも五分の魂

一寸の馬鹿にも五分の魂があるのだと、二回にわたって強がりを書いてみた。世の中には「賢者」と「愚者」が居て、「愚者」の中には「無思考の愚者」と「同調指向の愚者」と、そしてそのどちらにも属さない誇り高き愚者、すなわち『馬鹿』 … “新・一寸の馬鹿にも五分の魂”の続きを読む

続・一寸の馬鹿にも五分の魂

前回の文章で、「賢者」にもなれず、「無思考の愚者」にも「同調指向の愚者」にもなれない究極の愚者を、僕は『馬鹿』と呼んだ。読解力があれば、僕が『馬鹿』と呼ぶ対象が僕自身だと解るだろう。僕は『馬鹿』であることを自覚している。 … “続・一寸の馬鹿にも五分の魂”の続きを読む

一寸の馬鹿にも五分の魂

友人が「世の中は20%の賢者と20%の愚者、そして60%の同調者で成り立っている」と言った。この比率を検証してみたいと資料を探してみたところ、下図のようなものがあった。 「賢者」が敵意を持って他者を攻撃した場合、正当な理 … “一寸の馬鹿にも五分の魂”の続きを読む

BBS時代人のSNS観

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから 彼らが労働組合員たちを攻撃したと … “BBS時代人のSNS観”の続きを読む