御都合主義宣言

自己保身というものも、人が自らを守る本能のひとつの形なのだと思うけれど、規則や慣習を自分有利に解釈運用する所謂「御都合主義」が許されてしまうと、それが出来る権力や可能な環境を持つ者とそうでない者との間に「不公平」が生じる。それは正しくないとして、遍くすべてに対して原理原則を厳格に適用していくと、今度は「砂漠を緑化することは環境破壊であるからNG」というような不都合な解釈を生む可能性だってある。
人のおこないを裁くことに原理主義は馴染まない。原理主義と御都合主義の二択なら、御都合主義しかないと思う。原理主義は自らの無謬性を疑わないから原理主義なのであり、その改善を試みると宗教なら異端、思想なら修正主義として断罪される。原理主義に発展はない。発展成長の余地があるのは、御都合主義だけなのだ。
ただし許される御都合主義は、常により多数の人の幸福のためでなければならない。「最大多数の最大幸福」こそが御都合主義の正義であり、同時にその最大多数から漏れた者を無視せず救済の機会を常に窺うことも義務なのだ。
我が国が誇る御都合主義政党「自由民主党」の御都合主義に、一定の偏りが顕著になっている陰りがあるので、針をちょっと逆の方向に振りたい時である。