少数派が放つ異質感を許容する

僕は1958年生まれの左利きで、左手で箸を使うのは見苦しいという理由から躾として右手使いを強要された。同じく左利きに生まれた妹は右手で箸を使えるようになったのに、僕は結局右手で箸も持てず、算盤も上達できなかった。(この挫折感がトラウマになっていると思う)
今では左手で箸を使うタレントがテレビCMにも出てくる時代となり、良い時代となったと思うけれど、スポーツ用品や調理器具では圧倒的に右利き用ばかりが販売されている。
しかしこれは、大量生産と需要と供給の問題なので、左利きを異端視しない社会になっただけでも、変わってくれて良かったと思っている。
僕はたまたま左利きが差別された時代に左利きという少数派に生まれたおかげで、少数派の悲哀や被差別感を実感できたけど、僕が多数派に属している分野では、少数派の気持ちが実感できない以上、解らないというのが正確なのだと思う。
せめて「少数派が放つ異質感を許容できない人間」にはなるまいと、意識していこうと思う。