最大多数の最大幸福

功利主義の唱える「最大多数の最大幸福」とは、社会全体の幸福(正の価値)の総和を増大することを目指すことだけれど、いっぽうで社会の幸福の量は有限であるとも考えている。
であるならば、社会全体の幸福の総量は不変であり、その偏在具合に目を向けることが、「最大多数の最大幸福」実現のためには重要だと言える。
幸福の分配が過度に偏って不幸(負の価値)所有者が増えてしまっては、「最大多数」を実現出来ない。
経済的な視点で考えた場合、正の価値とは「資産」であり、負の価値とは「負債」と定義できる。
つまり経済的には資産保有者の最大化こそが功利主義の命題と言えるから、現在の地球人類で主流の自由競争資本主義では、「資産の再分配」の仕組みを組み込んで資産の集中を矯正しなければ「最大多数の最大幸福」は実現できない。
資本主義とは資産の集中を目指すものだから、このように考えると、功利主義と資本主義とは相容れず、むしろは社会主義に思えてくるね。
だけど、幸福って人間の感情であり、その感情をもたらすのは変化する環境の差分だから、「正の価値」をずっと変わらず与え続けられた人間はそれに馴れて、きっと幸福とは感じないだろう。
「多数」という客観的評価と「幸福」という主観的評価の最大化を同時に達成しようとすること自体が、功利主義の矛盾点なのだろうか。原文の「happiness」も「幸福」とか「歓喜」とか「満足」とか主観的な言葉だから、「the greatest happiness of the greatest numbers」はただの言葉遊びに思えてくるな。