自爆テロは特攻精神か?

「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」という言葉の本意は「日々を人生最後の日と考えて、誠実に潔く生きるべし」という諭言だと僕は捉えているのだけれど、いっぽうで「死ぬ覚悟によって行動が美化される」という誤った価値観を産み、「自分の生命を危険に晒せば他人に危害を与えても許される」というような身勝手な自己犠牲の行動原理を産んだ。
江戸時代末期に攘夷派が起こした桜田門外の変や京都で起きた数々の天誅事件、昭和初期の血盟団事件や515事件、226事件など、日本にはテロリズムを賛美し英雄視する文化があるけれど、それらも武士道の誤った解釈によるものではないだろうか。
1972年にイスラエルのテルアビブ空港で起きた大量虐殺事件は、パレスチナ人を迫害するユダヤ人と、それを支援する欧米への抗議行動として日本人が起こした凄惨な出来事だ。犯人のうち2名は射殺されたか自爆して果てた。この暴挙の奥底に、僕は身勝手な武士道精神に自己陶酔している日本人の姿を垣間見る。
この無差別殺人を起こした自殺行為が、本来は自殺を禁じているイスラム教徒の一部に「聖戦における最高の殉教」と美化され、同じ年に開催されたミュンヘンオリンピックでのパレスチナ武装組織によるイスラエル選手村襲撃事件に繋がる。
あの時代の日本人の精神文化には右翼/左翼の政治思想とは無関係に、「根性」という言葉で忍耐を美化する価値観と「死ぬ覚悟」によって行動が美化される価値観があったけれど、もしもそれが日本人過激派によってアラブに伝わり、イスラム過激派に勇気と行動力を与えてしまったとすれば、《自爆テロ》は日本製「特攻精神」のアラブバージョンかも知れない。