共感装置としてのインターネット

ジャニー喜多川氏の未成年者に対する性虐待問題から端を発し、メディアに対する脅迫(所属芸能人の出演拒否など)で人気寡占をすすめてきたジャニーズ事務所の権力構造が暴かれたのはエポックメイキングな出来事だった。
西武ライオンズの山川選手や楽天イーグルスの安楽投手の事案や吉本興業の松本人志の騒動などは、20世紀だったら彼らを抱える資本とメディアの協力で、有耶無耶にされ当事者は地位を保ったかも知れない。
インターネットという発言手段を持った日本の「世間様」は、社会を支配している権力に対して「牙」を向ける共感装置となった。
ただ、この共感装置は「誰も反対できない正しさ」を「理想論」「偽善」と遠ざけ、対立した一方を選択することを好む性質を持っていて、「悪意」を拡散増幅してしまう危険性も併せ持つ。
反論が存在する意見にこそ実質があると考えて、その可否を吟味選択するという思考様式は否定はしないけれど、その吟味選択に時間をかけない軽佻浮薄さが、昔から変わっていない「世間様」の正体だから困る。